笑い話のような毎日

思い入れのある電車に

 今年のゴールデンウイーク、飲み屋のテレビで映画「阪急電車」が流れていた。大好きなので友人たちに「DVDも出てるから」と勧めてみるものの、友達同士の会話が盛り上がっていて聞く耳を持ってもらえない。
 すると熊本出身の店の大将が握手を求めてきた。「私も大好きだよ、この映画。あんたも好きとは思わんかったなぁ」
 実は私は以前、阪急の宝塚線に住んでいた。aikoの歌った三国駅のある路線だ。歌に登場するボウリング場にも何度か行ったことがある。aikoのCDが発売された時、三国駅の階段、壁などいたるところにポスターがはってあったことを思い出す。
 次の停車駅、庄内はなんといっても市場だろう。活気のある場内で、食材はもちろん新鮮。袋に付けられた値段がよそと同じだったとしても中身の量が違う。
 次が服部。静かな住宅街だがそこで会う人たちは人情味が厚く、住むには最高の場所だと思う。週末に行ったパスタ屋や銭湯は今もあるのか。
 その次の駅は曽根。宝塚線で服部緑地公園に一番近い駅になる。
 …人に勧めておきながら自分がDVDを見た。あのチョコ茶色の車両。緑色のシート。車窓からの景色。むしょうに乗りたくなり、仕事のスケジュールを見ながらさっそくホテルを予約した。大好きなあの電車に今月乗る。夏だし、少し足を伸ばして滝で涼もう。

2012年7月5日

茶会

 うろ覚えの作法を確認しようと久々に茶会に参加した。

 「場違い」と思われるかも知れないが、そうした席には過去に何度か出たことがあるのでさほど緊張もない。
 気持ちの良い晴天の下、大きな門をくぐって京都から移築された公家の屋敷へと向かう。緑が豊かな庭の石畳の上を歩いていると、自然と背筋が伸びてくる。
 まず、入り口でご挨拶。と、ここまではよかったのだが、大の苦手とする記帳を頼まれる。毎度のことながら、私の字だけが子供が書いたように周りから浮くので、とても恥ずかしい。
 庭の見える部屋で他の客人としばらく会話をした後、一番奥の茶室へ通される。
 茶を点てる人たちは全員、個々で教室を持つ茶道の先生たちで、各流派が勢ぞろいした豪勢な席だ。
 私は「茶室へ入る時の茶扇の置き方の向きが違う」としょっぱなから指導を受ける。その後もあいさつの仕方、掛け軸や香の説明、茶席で亭主と会話をしてもいい人といけない人があること、茶菓子の食べ方、まわし方、抹茶の飲み方と一通りの指導を受けた。
 最後に私に茶を出してくれた先生が一言「流派によって違うから、好きなように飲んでくれればいいんですよ」と笑顔で救いの手を差し伸べてくれた。
 ありがとうございます。次回は自信ありです。

2012年5月1日

近場の温泉

 近場の温泉に出掛けた。学生が大勢来ている畳表のはだけた収容所のようなホテルだったが、集団で一泊するのは久しぶりだったので、そこは大した問題ではなかった。
 みんなで風呂に入って、宴会場で酒を飲みながら近況を報告する。だが、このところ感情でしか動いていない私は話をすることが見当たらない。
「目標のない者は計画がない」
「計画のない者は行動がない」
と書かれた額の前で立ち止まる。
 昨日もまた、10人ほどで近場の温泉に出掛けた。前回より値段が安いのにこちらのホテルのほうが断然きれいなのは問題だった。
 今回は、あいだみつをの書の前で立ち止まる。
「つまづいたっていいじゃないかにんげんだもの」

2011年12月3日

汽笛

 先日は、鉄友会のみなさんの努力によって修復された蒸気機関車の汽笛を鳴らしてきた。
 装置は二つ。一つは運転席側にある自動車のアクセル風の物、もう一つはいすの無い助手側で、上から吊られた鉄の棒を引くと鳴るようになっている。
 コツは一気に全開にしないこと。半クラッチの状態をキープするような感覚でやると「ポー」と長く、それらしい音が続く。
 晴天の秋空の下、轟く汽笛は人の心をとらえるのか、次から次に人が集まって来る。
 自分が注目されているわけではないのに「ポー」という音に合わせて私の顔も「ポー」っと赤くなった。

2011年11月9日

鎌倉

 年末、いつもだったら夏に訪れる鎌倉に出掛けた。江ノ島電鉄に初めて乗ったことで、知らない場所がまだまだたくさんあることに気付く。こんなに便利な電車になぜ今まで乗らなかったんだろう。大勢いた外国人観光客のうちの一人が、私の着ているドイツの軍服を見てとても喜んでくれたのが印象に残った。
 夜は横浜をブラブラ。中国人のおじさんの足つぼマッサージに身もだえ、歯を食い縛った後、そのおっさんに教えてもらった赤いテントの韓国料理店「赤いとんがらし」に入った。超満員の店内には20歳代の団体が多く、あちこちから声のあがる客の注文に店員さんが息を切らせながら応じている。その熱気と雰囲気がとても楽しいし、うれしい。
 でも実は、一番うれしかったのは、斜め前のテーブルに男女のグループがいて、そのなかのきれいな女性に「よく目があいますよね」と、本当にすてきな笑顔で話しかけられたことだった。単純な私は横浜に住みたいと思ってしまった。
 自慢プラスあほですの。

2011年1月2日
 

ビーバック、スーン

 また今年もハリウッドからラスがやって来た。
 そして、寿司屋のカウンターに座ると、目の前にシャコがやって来た。
「ユー、シュッド、トライ、トウ、イート、ザ、プレデター」(プレデター食べてみなよ)
 顔の付いた食べ物が苦手なラス。日本人の友人達の勧めを、片言の日本語で「やっだぁ~」と言って拒絶する。
 だが、ついさっき「はしを使わずに素手で食べるように!」と、寿司の食べ方を指導されたばかりの寿司屋の大将の勧めまでは断れない。
 酔った勢いで口に放り込むと、両手を動かしながら「ヘイ、ヘイ、ヘイ」と一言。
 先日、居酒屋で一緒に飲んだ時に「ドラマの台詞でこういうのが今、日本ではやってるから、絶対にハリウッドでもやってほしい」と伝えていたことを、さっそく実践してくれた。
 いいぞラス、すごいぞラス、帰ってからもやってくれよ!

2010年8月30日

田舎の花火

「これ、いくら?」
「さぁんびゃくまんえーん!」
 こんな、コテコテの一言を気に入ってくれたイタリア人の女性と話が弾んだ。
 花火会場でビールを売っていて話しかけられたのだが、行列に追随し、せわしなく帰る日本人とは対照的に、彼女はゆったりとしていた。
 人混みが嫌いだという彼女。すし詰めとまではいかない人出と、真っ暗な夜空にポカン、ポカンと単発でしか上がらない田舎の花火がとても気に入ったらしい。イタリアの花火はどれも宗教がらみで、打上の数も少なく、日本のような花火大会はないという。
 もっと若く見えた彼女だが、27歳。日本の祭りが大好きで、雑誌で探しては一人であちこち見て回っているらしい。
 「さんびゃくまんえん」が、縁の会話。来年も来ると約束した。ちなみに、きょう私が着ているTシャツも「さんびゃくまんえん」だ。

2010年8月30日

パンク祭り

 一緒に行ったうちのひとりは、朝3時に仕事に出なきゃいけなかったのに、目が覚めたら6時だったらしい。仕事に遅れるほどみんなが疲れた理由は、前日に名古屋のクラブダイヤモンドホールであった「パンク祭り」だ。
 モヒカン、革ジャン、とがったピアス。
 タトゥーに毛色は赤、白、緑。
 飛び散った汗や酒で床はビシャビシャ。
 すべって転んで、蹴られて押して。
 怒濤の8時間だった。
 ラフィン、ニューロティカ、コブラ…。20年前と同じ曲をやり続けるっていうのは、いろんな意味で大変だと思う。それを見に来ている連中も同じように歳をくっていた。変わったのは、親子連れの姿が増えたことぐらいかな。
 短パンのおっさん10人で爆音の中で大暴れした。最高だった。
 風呂に入って鏡を見たら、胸や足にでっかいアザができてた。オイ、オイ!

2010年8月11日

両国

 これからどうなっていくのか、最先端を知っておく必要があるーと思い、ビッグサイトのデジタルパブリッシングフェアに出掛けた。
 いきなり結論を。電子書籍はスタンダードになりそうな形式がまだ定まっていないようだ。レイアウトの枠を飛び越えて映像が動いたり、枠ごとにズームアップしたりと、各社独自の仕掛けを考えていた。しかし、仕掛けごとに料金がかかり、さらに、端末(アイフォン、アンドロイドなど)ごとに料金が必要だという。凝ったコンテンツを望むと、何十万円では済まないかも知れない。フェアを見終えて「簡単には手が出せない」そういう考えに至った。
 フェアの後、スカイツリーを眺めながら初めて両国でちゃんこ鍋を食べた。「久しぶりに会ったんだから俺が払うよ」と、大きく出てしまったが、これが高い。支払いを済ませて「簡単には手が出せない」物だと知った。

2010年7月17日

大井川鐵道

 先日、静岡県の大井川鐵道に行った。静岡を訪れることは希なので、どんな場所なのか、どんな景色なのか、そんなワクワク感だけでも良い気分転換になる。
 行く前に、何人かに事前のリサーチをした。その中で「弁当を買って電車で食べないと、駅を降りたら店がないよ」と聞いていた。にもかかわらず、どこかあるだろうとたかをくくってしまったのが悲劇の始まりだった。
 じめじめとした梅雨空の下、食事ができる店を探して歩き続け、小一時間。やっと見つけた一軒も正午過ぎにもかかわらず「準備中」。おそらく同じように食べる店を探しているちっさいおっさんとすれ違う。
 今度は駅から反対方向へ、また30分。傘もないのに小雨がぱらつきはじめ、持っていたハンカチは絞れるほどに。また、そのちっちゃいおっさんとすれ違う。何か話しかけたそうだったが、そんな気分じゃない、無視しちゃった。

2010年7月16日

二次会パート2

 今月は、久しぶりに結婚式の二次会に出た。パーティー形式の結婚式にはちょくちょく出席させてもらっているが、結婚式場で披露宴をすませ、別会場で二次会というのは、ここ数年、なかったように思う。
 「二次会=出会い」とは、いささか単純ではあるが、久々にそのつもりだった。友人のうち私を含めてまだ10人ほどが独身だ。
 当日までに、少し体を引き締めておこうと考え、ジムに通う。我ながら本気だ。運動で心地よい汗を流す。なんかスポーツマンになったようで、自分に酔いしれる。
 …二次会の数日前、過度な運動がたたり、風邪を引く。
 当日は、マスク使用。結局、初対面の女性とは話をすることができず。積極的に話しかける既婚者組に押され、存在感が薄かった。「こんな客観的ではダメだ。もっと当事者にならなければ」と、いま書きながら反省している。この気持ちを持続!できるかなあ?

2010年4月30日
 

子供は無邪気だ

 外出先でもよおし、大手ショッピングセンターに駆け込む。ボックスの中で一息ついたところで、子供の声が聞こえた。
「となりでおっさんがうんちしてる」
「キャハッハッハッ」
「ハッハッハッ」
 男の子と女の子の声だ。
 んっ、まさか自分のことを笑われているのか?
 そう思いながらも、とりあえず出す方を優先させる。すると、また話し声が聞こえる。
「となりでおっさんがうんちしてる」
「キャハッハッハッ」
 まさかのぞかれているのではと思い、頭上を確認しようとしたが、ちょうどおなかが痛くなり、チラ見で終わる。
 ここで大きいオナラでもしようものなら、子供たちの笑いを絶頂にしてしまうだろう。加減しながらはつらい。
 さらに不運は重なる。なんと紙がないのだ。
 相手が大人なら恥を忍んで、トイレットペーパーを取ってもらうよう頼めるが、子供では笑いを助長するだけで取ってもらえる確証がない。
 そんな時、駅のホームで鼻をかんだことを思い出し、ズボンのポケットをまさぐる……あと2枚。
 途方に暮れていると、また隣から子供たちの声が聞こえる。
「○○くん、さっきキスしたこと誰にも言わないでね」
 子供は無邪気だ。

2009年10月16日
 

味で勝負

 先日、梅田に行ってカレー鍋を食べた。汁までおいしい鍋をつつきながら、このところ外食時に適用しているルールが「使えるなぁ」とほくそ笑む。そのルールとは、店員さんが美人の店に入る、だ。
 梅田に限らず飲食店が建ち並ぶ繁華街というは、選択肢がありすぎて、どのお店にしようか悩む。
 「味で勝負」と評判のお店の前に来ると、その行列に加わる気が起きない。かといって、ガラガラのお店の前に来ると、まずいのではと勘ぐってしまう。優柔不断の私には、いつまでたっても決められない。
 その点、店員さんが美人という判断基準は、行列に加わる必要はないし、まずくても美人を見ていられれば損した気分にならない。瞬時に決断できる最高の基準だった。
 大阪のこの日は、ジャイケルマクソンというテレビ番組の街頭インタビューを断ったことを後悔しながら、おいしいカレー鍋を完食した。
 翌日は京都に出かけた。駅を降りた瞬間からすごい観光客だったので、昼食のお店を予約しておいた。祇園の料理店は、和の美しさがあり、出される料理も素材や調理法にこだわったものばかり。「やっぱり味で勝負だよな」…また優柔不断に戻った。

2009年10月12日

へっぽこぴー

 ずばり、ドンぴしゃなガンダム世代なので、ご多聞に漏れず、お台場にうかがった。
 いい歳をした男3人が、ガンダムのために新橋で1時間近く並ぶ。行列が動く時に汗ばんだ男同士の肌と肌が触れることがあるのだが、これほど気分の悪くなることはないと知った。
 ガンダムのいる公園に着いたころには、足が痛くなっていた。友人いわく、そんな私は「へっぽこ」だそうだ。
 しかし、このガンダム、実によくできていた。大きさといい、全体のバランスといい、しばらく感慨にふける。
 「これが本物のガンダムかぁ…」
すると、聞き覚えのある音楽が流れ出した。「なんだ?なんだ?」と話していると「グッ、グゥーン」。これまた聞き覚えのある効果音と共に、なんと、ガンダムの首が動いた。
 動くなんてまったく知らなかった私は、これに感動。足は痛かったが、さっさと帰ったりしないで本当に良かった(涙)。
 帰るころには、ゆりかもめの駅に向かって、大、大、大行列ができていた。なので、それを避けて水上バスに。「すごい汚い海」と小学生くらいの女の子が隣で話す江戸前の潮風に吹かれながら、一路、浅草に向かいやした。

2009年8月25日
 

ハリウッド

 ロサンゼルスから米国人のスペシャルゲストを迎えて、友人たちと久しぶりに一杯やった。
 スペシャルゲストが映画「ラストサムライ」のために作ったという馬の写真を、彼が取り出したアイフォンで見せてもらった。それまで考えもしなかったが、撮影には本物だけではなく、人工の馬を使ったことを知る。
 「この馬が登場したシーンはたった2秒だよ。そのためにハリウッドは何百万円もかけているんだ」と説明する彼。日本でそのスケールの話をすると、じゃまな家を壊したり、城をつくったりした「黒澤明監督くらいかな」と、ふと思った。
 彼には普通の日本人の生活を見せてあげようと、待ち合わせ場所は普段通り友人が営んでいる居酒屋。エンジンがかかった後半は熱燗にまで手を伸ばすことになる。
 さすがに自分もベロベロになり、帰りはガードレールと仲良しに…。
 翌朝、明るくなってから見ると、上着はもちろん靴にまでガードレールの白がビッシリと付いていた。
 あれっ?肩も痛い。

2009年3月10日

常滑

 日本六古窯(常滑、瀬戸、信楽、備前、丹波、越前)のひとつ、常滑に出かけた。
 常滑は土管の生産をはじめとする産業のまちとして栄えていたが、金属製品にその座を奪われてからは衰退の一途を続けてきたらしい。
 そんな場所に移り住んで13年。この地を観光地に変える核となっている人物に会うことができた。
 その人に触発されて、現在、常滑には、空き蔵(倉庫)を改装した飲食店や焼き物を中心とした雑貨店が次々にオープン。重要文化財の登り窯のほか、実際に焼き物を作っているところも見学でき、若者らのデートスポットとしても人気が出てきている。
 一人さびしく英国人の工房をのぞくと、イギリスの台所にある「ソルトピッグ」という塩を入れておく入れ物を作っていた。日本では蚊取り線香を置くのに使われると聞き、なぜあの焼き物に豚の絵が描かれているのかを知った。
 常滑では映画「20世紀少年」の撮影があり、映画に登場する場所を集めたパンフを地元商工会議所が配布中?

2009年3月10日
 

ノーベル賞

 一般公開で久しぶりに自然科学研究機構に足を運んだ。
 今年のノーベル賞で話題の緑色蛍光たんぱく質をはじめ、先端機器を使った展示にも心が躍ったが、それらを押しのけて私の好奇心をわしづかみにしたのは、安あがりな体験コーナーだった。
 同じ量の砂糖が入った冷たい砂糖水と温かい砂糖水の飲み比べ。小さな紙コップで指示通りに順番に飲んでみる。
 「えっ?これ、本当に同じ量なんですか?」
 求めていた通りの、いや、それ以上の反応だったのか、研究者の人たちは大いに喜んでくれた。
 まったく同じだと言うが、温かい方が断然甘く感じる。
 さらに興味をそそるのが、この研究チームが金縛りの仕組みなども科学的に証明しているということだった。
 質問していた中高校生たち、身近にノーベル賞候補になるような人がたくさんいるぞ、頑張れ。

2008年11月25日

ドールズ

 先日、ドールズハウスジャパン代表の方と、イベント前の少しの時間、話をさせてもらった。
 代表によると、国内でドールズハウスとして作られているのは、「こんな家に住めたらいいなあ」と空想で作られる場合がほとんどらしく、実物や時代考証を経て忠実に再現する欧米とは全く異質な物だという。
 日本人が外国の家を忠実に再現しようとしても、よほど勉強しないと、外国映画で日本と中国がごっちゃになった映像が出てくるような作品しかできない。
では、「ザ・日本」のドールズハウスがないかといえば、それが存在するという。
 檜細工師、三浦宏さんの作品で、明治の女流作家、樋口一葉の作品に登場する建物を、時代考証を基に細部にまでこだわって再現しているらしい。
 まあ、なんにしろ、ドールズではないハウスがほしいです。ハハハッ。

2008年9月9日
 

メガネ

 まずは、フレーム選びから。昔は大きくて丸いメガネが多く並んでいたように思うが、今は切れ長が主流のようだ。
 「ウルトラセブンみたいですね」。若い女性店員には、この冗談が通じないようで、他の客もいる手前、ウケなかったのが恥ずかしい。
 用意してくれた鏡で、あれこれ手にとってはメガネ顔をチェック。煮え切らない私を見かねてか、この女性店員が「そのメガネ、知的な感じがしてお似合いですよ」と言ってくれた。調子に乗って鏡をのぞくと、顔の大きさに合わせてフレームがYの字に広がっている。「これ、広がってませんかね?」とたずねると、冗談よりもウケてしまい、また恥ずかしくなる。
 視力検査では、左右の視力の差に納得がいかず、何度も首をかしげる。検査後、鏡を見て片方のコンタクトを外していないのに気付いた。他の客も含めて大いにウケたが、恥ずかしさは頂点に達した。

2008年7月31日
 

掃除魂

 部屋のエアコンの効きが悪く、久々にフィルターを掃除したのをきっかけに、己の掃除魂に火が付いた。
 今年の抱負はダイエットだが、心の中の自分が「部屋もダイエットだな」とハードボイルドな低い声でささやく。まるでミッション開始の知らせを受けたかのように、一人で大きくうなずいた。
 「狭いくせに物が多すぎる」と友人に指摘されていた部屋。まず、服に手をつける。襟の部分がすり切れて破れたYシャツ、汗で白から黄色になったTシャツを捨てる。
 太ってはけなくなったGパンは迷った。やせたら、また、はけるようになるかも、いや、はかないだろう―はかない葛藤が続く。かさばるセーター、だが穴が空いているわけではないし…徐々に貧乏性が顔をのぞかせてくる。
 写真のアルバムも整理してみた。15年以上前の写真に、そのセーターを着て満面の笑みで写っている自分がいた。

2008年6月18日
 

 「狭いまちで、お互いの顔を知ってるのに話をしないなんて寂しいじゃん。話のきっかけを作ってあげるんだから」と、すばらしい言葉にほだされ、いよいよ今年、中学の同窓会を開くことにする。
 何年も前から頼まれてはいたが、やる気になったのは、今年が卒業して20年目だから、ではなく、お隣の中学が昨年やったという話を聞いたからだ。
「○○中に負けたらあかんでしょ」―いくつになってもこのくすぐりに弱い。
3の倍数か3の付く日にでも開きましょうかねぇ。
イチ
ニッ
サァン(声を高く)

ゴォ
ロォーク(裏返して)
ヒチ
ハチィー
ハチィー(うちの犬の名前はミューだから全然違うけど)

2008年5月10日

花びら舞い散る

 河津桜など早咲きの桜が咲き始め、多くの日本人が日本の魅力として挙げる桜の季節が近づいてきた。
 この桜。満開もきれいだが、やはり、それと同時に散っていく様が美しい。
 昨年、川沿いの道を車で走っていると、花びらが風に舞って窓ガラスをかすめていき、そのあと、目の前に張り付いている一枚の花びらに気付いた。
 四季の風情。これをワイパーで取り除くなんてヤボなことは…と思い、そのままで仕事先に向かった。
 仕事が終わり車に戻ってみると、目の前にあるからか、一枚だけ付いているからだろうか、その花びらが気になった。
もう一度車を降りて手ではがしてみる。でも長い時間、そのままにしておいたので、しっかりとくっついていて離れない。
 今度は爪を立てて、ゴシゴシと削るようにしてみた………ハトの糞だった。

2008年3月15日
 

接着剤

 とかくはやり物は、東京の話が多い。いまさら言うまでもないが、理由は簡単。全国に発信するメディアが東京に集中しているからで「うまい店」「かっこいい物」など、その真相は別物として短期間にブランドが創り上げられていく。
 一方で地方は「本当に良い物を作っても売れない」現状がある。
 ここ数年、地方で盛り上げて、その盛り上がりを東京がキャッチし、全国に浸透させる動きが各地でみられたが、先日、地域の逸品をブランド化して、全国に売り込んでいる会社の代表に会い、やはり従来型の東京発落下傘方式のほうが、全国区にするには早いと改めて感じた。
 地方で物を作るプロと全国の消費者とをつなぐ接着材の役割を、この会社(というより人物かな)が売り方と売り場を作る立場で担っていく。ゆくゆくはNY進出まで狙うらしい。
 便乗する名目が見当たらないが、私もNYに行ってみたい。

2008年2月3日
 

深呼吸

 車を降りると、まずは大きく深呼吸したくなる。とても好きな場所、少年自然の家が開所30周年を迎えた。
 記念式典では、ある人がボクシングの亀田が受けたペナルティーを例に挙げ、ここで学ぶ規律の大切さを小学生たちに説いていた。なるほど合点がいく話だったが、昔、こうした野外活動で正座させられていたのは自分だったことを思い出す。
 2週間ほど前には、全校児童で30人ほどの僻地の小学校を訪れた。不安を覚えながら進んだ山道の脇に学校はあった。こぢんまりとした校舎と対照的に立派な木製の遊具、校庭は山の緑に囲まれ、まるで映画を見ているような光景に少し興奮した。
 その晩、飲み屋で横に座った強面の兄ちゃんが話す。「俺、こんなんだけどさぁ。自然のなかの村みたいなのに憧れるんだよね」
 本質は変わらないことを知る。

2007年11月1日

屋形船

 春に好評だった屋形船が、秋に再登場するらしい。
 前回、春の時は関係者らに「海賊船」を提案。髑髏の旗をたなびかせた海賊船が霧の中から突然現れ、屋形船の船頭さんが「でたぁー。海賊だぁー」と叫ぶ。ディズニー張りのエンターテイメント性の高いものだったが、軽く聞き流された。
 春はまだ桜があるからいいが、今度の秋は紅葉にはまだ早い。やはりひと工夫が必要だ。
 そこで、地域の名産を売る「船の屋台」を出させてはもらえないだろうか。屋形船と併走し、注文があった品は大きいしゃもじのような物に乗せて差し出す。料金はしゃもじの上に置いたお城の貯金箱に入れてもらう。
 お釣りは、風で飛ばされるといけないので渡さない。
「えっ、それじゃあ盗っ人だって。旦那。ここは水の上だよ。そんなささいなことは、すぐに流れちまうさ」

2007年9月14日

健康志向

 軽井沢の結婚式場でたばこが吸える場所をたずねると「喫煙室でお願いします」という返事。
 ウチの組がどうのこうのと話す強面の人たちに囲まれて、ポツリと吸った。
 「世の中は健康主義」
 「喫煙室は渡世の忠義」
 たばこを吸うのも大変な時代になった。
 久々に東京の親戚にも会った。
 「俺、3日前からキャンプインしたぞ」
 今一番ホットな「ビリーのブートキャンプ」の話をしてきた。
 「キャンプイン」という言葉を聞いただけで、すぐそのことだと分かった。ストレッチもなく、いきなりスクワットから入るらしい。
 体を引き締めることには興味があっても、健康に気を使ってるわけではない親戚。
 「家だと子どもがいるから吸わないけど、禁煙に成功してすぐ交通事故で死んだら意味ないと思わねーか?」
 寅さんの声が聞こえる「それをいっちゃーおしめーよ」

2007年6月23日
 

佳人薄命

 ZARDの坂井泉水さんが亡くなったニュースは、シンガーソングライターの織田哲郎さんが久々に登場した雑誌を見ている時に飛び込んだ。織田さんは、坂井さんに多くの曲を提供している人。それよりも正直、40歳という年齢に驚いた。
 10年以上前になるが、当時住んでいた川崎でZARDの曲がよく流れていた。曲を聞くと、川崎の街の風景がよみがえる。そんな思い出と共に、坂井さんも20歳代のままになってしまう。
 特に、終始コードで明るいリズムを刻みながらも、別れを歌う『君がいない』という曲が好きだった。
 織田さんの久々の表舞台への登場は、病気の坂井さんに「頑張れ」というメッセージを送るためだったような気がしてならない。
 これ?「佳人薄命」で締めたら音楽ライターになれますかね?

2007年6月23日
 

心意気

 新しい図書館に復元される内田修ドクターズスタジオに、トランジスタ録音機の国産第一号が戻ってくる。
 調整卓はテーブルほどの高さで幅は1メートルそこそこ。加えてオープンリールの録音装置が左右に一台ずつある。ソニーが設計し、内田スタジオの中でハンドメイドで組み立てられた物らしい。
 内田コレクションの寄付を受けた当時、レコードなどの保管を優先させた市に、この大きくて重い機材を置く場所はなかった。
 名乗り出たのは音響会社を営んでいた「オサ君」こと杉浦さん。60から70年代に活動していた『音楽村の人々』という団体のメンバーで、この地域では「わたぼうし」や「ファンタグループ」という名前をご存じの方がいるだろうか。
 「捨てるのはいつでもできる。大事な物なんだから…」。一人の音響屋さんの心意気だった。「オサ君」は昨年6月に亡くなった。

2007年4月7日
 

愛知の顔

 愛知県で知事選挙があった。知事といえば今の旬はそのまんま東氏。串あげのうまい店で「愛知で有名人が知事になるとしたら」という話になった。
 愛知の顔として、何人かがまず一番に名前をあげたのが、『三択の女王』竹下景子さん。それからしばらく間があき、都知事のように石原軍団をバックに付けた館ひろしさんの名前が出た。
 …が、重鎮といえるような人が思い浮かばない。星野仙一さんも板東英二さんも愛知県の出身じゃないし、同じエイジでいったら奥田瑛二さんが一番いい線だろうか。
 漫画家の江川達也さんは興味がありそうにみえるが、たぶん敵を多くつくるだろう。だったら鳥山明さんにペンギン村をつくってもらったほうがいい。
 高校生の時、ある野球選手から二塁打を打ったのが自慢の知人が言う。イチローが出るなら俺が出る!

2007年2月10日
 

2007年

 2007年。干支でいう亥(イノシシ)年を迎えました。
 この干支にあやかって、今年は猪鹿蝶と順調に絵札を引き当てる年となるでしょうか、それとも、亥の刻になっても慌ただしい年となるのでしょうか…。
 昨年は飲みに出かけることもほとんどなく、家にこもりがちでした。今年もそうなりそうですが、昔からやりたかった事、やらなきゃいけないと思っていることを少しずつ実現させていこうと思います(仕事もあるので、なかなか進みませんが…)。
 ノミ取りに精を出しながらも、時間の許す限り、あちこちと顔を出すので、またみなさんの爆笑話を聞かせてください。

2007年1月4日

なだそうそう

 今年も残すところあとわずか。この一年で最も印象に残ったのは、石垣市での数日間だ。
 沖縄本島から飛行機で1時間。真っ青な空に、底まで見える珊瑚の海。離島では牛車に揺られ、三線の音色に酔いながら、ゆっくりと、ゆっくりと海の上を進んだ。
 夜は夏川りみさんの母親の店を訪ね、泡盛のコーヒー割りという摩訶不思議な飲み方を初体験。練習していた「なだそうそう」のカラオケは既にどこかのおじさんが予約。そのおじさんは連れの4、5人に「この店でこれ歌うんか?あんたチャレンジャーやなぁ」と冷やかされていた。
 ほかに今年は「純情きらり」もあったが、いい匂いがした井川遥さんが結婚してしまった。もしかして、またどこかで会って、仲良くなって……30歳を過ぎた男のささやかな夢は崩れた。♪なだそ〜ぉぉ、そう〜

2006年12月20日

飲酒の知恵

 9月末までに県内で起きた飲酒運転による死亡事故は、全死亡事故の約13%を占める31件。
 「飲んだら乗らない」の風潮はここ数カ月でかなり浸透し「宴会の席でお茶だけで何時間も過ごす」「酒が評判の店で料理だけ食べる」といった話を多く耳にするようになった。
 地方の合併などで新たな人の交流が生まれているが、地域が少し離れた所に住んでいると酒の席を共にするのが難しい。
 この地域に合った「飲む人」のためのアイデアが何かないものだろうか、と酒好きは考える。そういえば東京のカラオケには早朝までいくらの「始発セット」というメニューがあった。悪いのは「飲酒」ではなく「飲酒運転」だということを再確認して、関係機関、事業所、飲食店から、驚くような知恵が出てくるのを期待している。

2006年11月2日
 

信頼

 ○○県の「裏金」と混同されているようだが、職員たちが飲食用に隠してプールしていた金ではない。民間団体名で別管理することになっていた寄付物品の換金分を流用していたと思われる。
 ○○寮には虐待などさまざまな理由を持つ子どもたちが入所しているが、○○県の裏金と混同した人からの抗議で職員たちも疲労し、地道に続けてきた本来のやるべき仕事に集中できなくなっている。
 11日の会見は当初は現地だったが、マスコミが押しかける姿を子どもたちが見ることで「大人との信頼が損なわれないように」と、職員側から別の場所を指定された。
 ○○町にある時から寮には何度も訪れたことがある。子どものことを真剣に考え、こうした配慮のできる職員たちだ。寮を巣立った人からの信頼は厚く、交流も続いている。
 ○○寮の信頼が失われ、募金が集まらなくなることを危惧している。寄付なしでは成り立たないのが施設の現状なのだから。

2006年10月14日
 

花火

 花火大会の季節になった。遠く離れた場所でも大勢の人が見物していた岸和田のPLの花火。その日にあるとは知らず帰りの電車の中から見た鎌倉の花火。渋滞中に始まってしまった岡崎の花火…。
 大家に誘われてアパートの屋上から見たのは大阪・天神祭の花火。アパートの住人が集まり、大家のおばさんが持ってきてくれた冷えたスイカを食べながら世間話をした。
 たまたまだが同じ場所に住むという縁。知らない土地で人の輪が少しずつ広がっていくのを感じた。今年もあそこの住民は、ビルの隙間に開く花火を見たのだろうか。
 夜店、ぼんぼり、腹に響く音、煙、火薬の匂い、歓声、そして周りの人たちの笑顔。夏の思い出としていつまでも心に残る花火。
 今週末は、みなさんにどんな出会いがあるのでしょう。線香花火でもしながら想像してみます。

2006年8月4日
 

ジーコジャパン

 月並みだが、ワールドカップについて。
 初戦のオーストラリア戦は、試合終了と同時にテレビを消し、沈黙のままこの日二度目の風呂に入った。頭からシャワーを浴びて、気が付くと「情けない」とつぶやいていた。
 「もう見るもんか」と思いながら、クロアチア戦も万全の態勢で見た。だが………。
 日本が世界をアッと言わすことのできる残された手段はあと一つしかない。それは…『試合前、日本のユニホームでスパイダーマンのマスクをかぶった男がピッチの中央に立つ。誰もいないピッチの上で、何人もの選手をフェイントで抜き去るジェスチャー、そしてシュート。歓喜の雄叫びのあとマスクを外す…と、その男はジーコ』-日ハムの新庄をはじめ、世界中がこのパフォーマンスに驚嘆し、全世界でジーココールが沸き上がるのは間違いない。頑張れジーコジャパン!

2006年2月7日

おまけ

 「純情きらりのエキストラ日記」を4回続けた。こうした類の文章は内輪話で終わってないか気になるが、幸い好評のようで、ホッとしている。
 「書きたい放題だね」の声をバックに、4月の撮影の様子も、おまけとして少しだけ。
 今回参加したのは豊橋の愛知大学での撮影。スタッフが『先生』と呼ぶ謎の老人に、ゲートルをはじめ軍服の着方についてこと細かな指導を受け、『なんちゃって軍人』が完成。その老人に写真も撮られたが、私は作品なのだろうか?
 軍服で校舎内の廊下にいると、主役の宮﨑あおいさんと二人きりになった。互いの存在に息苦しい雰囲気だったので、思い切って話しかけてみた。内容は秘密だが、『ダメもと』で、いや『既成事実』として言っておけば良かったと思うことがある。
 …そうすれば、テレビで見るたびに「昔、彼女にふられたんだよ」って…。

2006年2月7日

悠久の自然と儚い人生

 週末に読んだ本がすばらしかったので「きょうの一冊」ではないが本を紹介したい。藤原正彦さんが書いた『国家の品格』―どうやらベストセラーらしい。
 ここ数年、私の中で悶々としていた「不文律」というテーマを「惻隠」という言葉を用いて見事に言い当てている。金銭至上主義の破綻や、論理の限界について書いている部分は、読み進むにつれて引っ掛かっていたものが取れていく気分だった。
 違和感を覚えていた「成功」という言葉が「金持ち」とイコールで語られる世の中や、「そこに山があるから」に、さらに理由を求める時代もこれで整理できる。
 《悠久の自然と儚い人生》―日本人の根底に流れている情緒、美的感覚の重要性を説いた作品。「まずお前の人格を…」と言われながら書いているが、花見をする前にこの本に出会えたことを幸運に思う。

2006年2月7日
 

素人評論家

 老若男女を笑いに誘う数少ない作家、三谷幸喜の露出が近頃多く、ファンとしてはうれしい。
 年末のドラマスペシャルに始まり、バラエティー番組への出演、過去の映画の再放送と、たたみ込むように展開される三谷ワールド。精一杯のテンションで公開中の映画を宣伝する三谷氏の姿に拍手を送っている。
 三谷フリークなので書き出すと止まらないのだが、すべての三谷作品に共通しているのが、ジラシがないこと。バレてはいけないことは、大抵すぐにバレ、八方ふさがりの状態をどう切り抜けるかの妙に引き込む。
 まだまだ続けるが、三谷作品は場所の設定がある程度定まっていて、サスペンスのように崖が出てきたりとか、場面があちこちに飛ばない。舞台の喜劇作家が基本にあるので、舞台でも再現できそうな設定が多い。さらに解説すると三谷作品では普…

2006年2月7日
 

フロントサイド

 昨年取り上げたスノーボードの安藤君。大会では予選を突破し、本選にまで出られた。後日、「自分の演技の時が、一番会場が盛り上がった」と報告をもらった。自分のことのようにうれしい。
 話を聞いている時は横文字の連続、「フロントサイドセブンツー」と技の名前を言われても、なんのことだかさっぱり分からず。専門用語を平たく紐解くのに苦労した。
 「フロントだから前でしょ。サイドだから横に回転して…あれ、米国に行ってたんじゃなかったっけ」。安藤君と引き合わせてくれた友人から留学経験を指摘されたりもしたが、なんせ10年以上前のことで、触れられたくない過去の一つになってきた。
 今では、語学力はすべて消えた。そのくせ外国人を見ると話をしてみたくてトコトコと近づく度胸だけが残った。「は~わ~ゆ~」…やっかいだ。

2006年2月7日
 

個人情報

 特集号の製作を進めていて感じるが、子どもたちに登場してもらうことが難しくなってきた。
 4月に施行された個人情報保護法が足かせとなっている。小学校の行事で「この子と、この子と、この子は写真を撮らないでください」といったことが起こる。クラス全員で同じことに取り組んでいれば自然に写ってしまう。モザイクをかけるわけにもいかず、その子たちだけ場所を移動してもらうわけにもいかない。
 今年から卒業アルバムの写真や住所録は、保護者の許可を取って掲載を決めるらしい。
 保護者が掲載を拒否した子はチューリップの写真になるのか?
 いざという時、転勤などで居場所が分からない友人への連絡はどうすればいいのか?
 子どもが被害に遭う犯罪が多発している。悪用する輩がいるのが問題なのは分かるが、どうにも割り切れない。

2006年2月7日
 

偽装問題

 姉歯氏の偽装問題は、いわゆる「見せしめ」で、業界に「これはやったらあかんぞ」と知らしめるためと解釈していた。ところが、総合研究所のほかの発注業者からも何件か偽装を暴いた。
 県や市、民間の指定機関には、構造計算書がまだいくつか保管されているはずだが、それらを再調査したという話はない。どこまで本気なのだろうか。
 ○○のホテルにおいては、偽装の白黒がはっきりする前に、取材攻勢で休業に追い込んだ感がある。
「命にかかわる問題」と騒ぐが、自分の家や職場はどうだろうか。耐震基準を満たしているのか。疑いの段階で生活や仕事の場をすぐに移せるだろうか。
 私はいつ壊れてもおかしくない家に住んでいる。地震が起きたら隣人に迷惑をかけるかも知れないが、建て替える資金は到底捻出できない。これは「悪」か?

2006年2月7日
 

サンマ焼いても

 ポプラ並木も色づき始めた今日このごろ。消防車のサイレンをよく聞くようになり、またこの時期が来たなあと感じる。
 大抵が、他人からの「これどうしたの?」で気づく、火災現場帰りのスーツの穴。
 服に付いた黒い点を取り払おうとすると、その点がどんどん円になる。生地の裏側から指を当てては、その穴の大きさに落胆し、あがいたことを後悔する。
 自身が現場に行くことが少なくなった今では、車の窓から投げ捨てられるタバコの吸殻を、溝の磨り減ったタイヤでつぶす“消火活動”にいそしむ。
 今月に入って、○○市と○○町内で発生した火災は7件。うち6件が建物火災。
 夜の街頭には、拍子木の音と子どもたちの元気な声が響く。「火のよーじん。サンマ焼いても家焼くな!」

2006年2月7日

天高く馬肥ゆる秋

 この辺りでもきれいな月を見ることができた中秋の名月。まだまだ残暑が厳しく、秋を感じることは少ないが、友人たちに会いに出かけた東京は台風の影響なのかとても寒く、ほとんどの人が長袖を着ていた。
 腹いっぱいになるまで飲んで食べた後、通りがかりに愛宕神社の祭りを覗く。ここは、徳川家康が江戸の防火の神様として祀った神社らしい。
 幻想的な提灯の明かりをたどって急な石段を登ると、そこには「お月見屋台」と称したたくさんの屋台が軒を連ね、大道芸人が繰り出すとっくり投げなどの芸を大勢の人たちが笑いながら見ていた。
 帰国したばかりの友人と、また、月見で一杯。酒を飲んで見ず知らずの人たちと一緒に声を出した。
「あ、さて、あ、さて、さては南京玉すだれ!」

2006年2月7日
 

エアーファイター

 南公園で取り替えられる二つの遊具。観覧車は分かるのだが、もう一つの「エアーファイター」が、よく分からない。
 尋ねると
 「戦闘機の形をした乗り物が何機かあって、それが地上から離れて、グルグル回るんですよ」
 なるほど…想像がつき満足。なのに説明は続く
 「戦闘機タイプで、前の乗り物を攻撃して打ち落とせるんです」
 “撃ち落とせる”何でそんな面白そうなのを残さないのか?
 「これがですねえ、撃たれると機体が下がるんですが、時間を置いてまた上がった時に撃たれると、また下がってしまうんです(笑)」
 利用料は100円。子どもが大事な小遣いで乗り、低空飛行のまま終わってしまう姿を思うと…確かにふびんだ。泣けてきちゃうだろう。
 逆に童心に返る世代には、撃たれるのも人気のようで、周りに乗ったことのある人が多いのに驚く。また、こうした人生の人も見かける。

2006年2月7日

要塞

 マスクに軍手、ボロボロのトレーナー姿が今年前半の休日の私だ。今回の「模様替え」というか「劇的ビフォアー…」のテーマは『要塞』。
 紙に机やベッドの位置を書き込んでいるとイメージがどんどん膨み、実際の広さを超えてトレーニングスペースまでできてしまうから欲望は果てしない。
 間取りに合ったオリジナル家具の製作も依頼。休日は作業場に行き、あれこれ注文しながら、木材を切ったり、電動ドリルで組み立てたりした。
 完成したのは譜面を横に何枚も広げられ、本棚も兼ねる『マイ譜面台』と、ベッドの高さに合わせた縦長の『マイテーブル』。これで行き場のなかったブタさん貯金箱の場所が確保できる…とニスを塗りながら喜びをかみしめていた。
 間取りも仕上がりも完璧だった。いよいよ搬入。せーのっ、アレッ?狭い階段を通せない!
 自慢の譜面台が目の前で解体されていった。

2006年2月7日
 

シナプス前抑制

 国立共同研究機構で記者発表があった。たまに開かれるのだが、これが難しい。説明してくれるのはノーベル賞候補になるかも知れない研究者の方々。分からない単語の説明を頼むと、その説明の中にさらに分からない専門用語が入ってきて野壷にはまる。 
 「何か質問は?」―会場に静けさが奔る。記者の一人が「中学生にでも分かるように」とお願いする。しばらく考えた研究者は「例えばイチロー選手がですねぇ…」
 来た―みな慌ててペンを走らせる。
 今回は「シナプス前抑制」。めちゃくちゃ簡略化して言うと、目的の運動をスムーズに進めるために脳は余計な感覚が入ってこないよう運動時の皮膚からの情報を抑えるらしい。
 国研の記事を書いている時は誰の話し声も耳に入ってこない。目的のためには他の感覚を抑える。私の中にも「シナプス前抑制」の働きを感じる? 

2006年2月7日
 

アルパチーノ

 大学3年のころだが、都内の芸大に通う高校の同級生と何度か映画を見にいった。そのころは一人で映画に行く勇気がなかったので半ば強引に彼女を誘った。彼女とはコンサートにも出かけたが友達以上の進展はなかった。
 その時に見た「セブン」がきっかけで本当に映画が好きになった。人の生き様に目頭を熱くする感覚は、最初は映画から身に付いたのだと思う。感情が揺れ動いたり、かたくなに考えを曲げない性分だったりする話にどっぷりはまった。
 古い作品にも興味を持ち、近所に唯一の小さなレンタル屋でビデオを借りて夜通し見るようになった。店主のおっさんに顔を覚えられ、私がビデオを手にすると「その、アルパチーノ、渋いよ」と話かけられるまでになった。名画といわれる作品を私の傾向をみて紹介してくれるのでありがたかった。
 …が、Hなビデオか借りられなくなった。

2006年2月7日
 

強運

 えっ、マジかよ!
 気が付いた時は、もう真横にでっかいヘッドライトが見えた。
 次の瞬間…、ボコッ!
 事故直後の心理って不思議なもので、体よりもまず自分に過失がなかったかかが気になる。すぐに信号を確認すると、間違いなく青だ。
 がぜん強気になった私は、とにかく相手に逃げられてはいけないと飛び出して怒鳴った。
 「おいコラァ~、止まれー」。相手の車は自動車販売店の前によく止まってる、車を運ぶためのでっかいキャリアカーだった。
 改めて自分の車を外から見てみると運転席側の前と後ろのドアは完全につぶれていた。
 大事故だ。それなのに体はなんともない。なんという運の強さだろう。
 「しかしこの世の中、信号もあてにならないようじゃあ何を信じればいいんだろう」なんて考えながら、外からはドアが開かないため、助手席から乗り込む自分がカッコ悪かった。

2006年2月7日
 

大事な質問

 警察署に新しい留置場が完成した。
 頑丈な鉄格子に白い壁。ドラマでしか見ることがないであろう。その中に入った。
 とにかく留置場に入れられた感覚とはどんなものなのか、その片鱗を味わってみたくて、うつぶせに寝転がってみたり、鼻を近づけて偽物の畳の匂いをかいだりした。
広さや部屋数、洋式トイレにした理由など、たくさんの説明を受けた。
 にもかかわらず、ほかの人たちは「大事なことを聞き忘れた」と話している。
 留置場を見ることすら初めての経験なので、何か重要なことが抜けている可能性は十分にある。懸命に考えたが「これでは…」と思う質問が浮かばない。経験不足と毎度の冴えない頭…重要なことを逃さないように耳をそば立てた。
 ほかの人たちが話すその大事な質問とは-「カツ丼は並か?」だそうだ。

2006年2月7日
 

20代最後の夜

 はじめからドアノブの調子は悪かったが、いつものことだとトイレに入った。
 いざ出ようとノブを回すと、バコッと鈍い音。その瞬間、まさかと思った…ドアが開かない。
 閉じ込められたくせに、予想が当たった喜びで半笑いしてしまった。
 鍵は外した。ドア側に引っ込むはずの突起に動く様子がない。ノブのバネが効かないのだ。
 10分ほどするとドアにタックルしたり、段々荒っぽくなった。
 これではらちがあかない。少し冷静になって見回すと、小窓があった…これだ。
 トイレのスリッパをしっかりと履き直し、飛び乗って頭から出ようとしたが、上半身は出るもののつかまる物がなく、全身を押し出すことができない。元に戻り、今度は両側の壁に手と足をつけ、つっぱり棒のような状態になって足から突っ込んだ。見事に脱出。
 20代最後の夜、外は雨だった。

2006年2月7日
 

バカップル

 昼間の国1は混んでいる。信金前の信号が青になったばかりなら次の信号にも間に合うが、もうすぐ赤になりそうな時は、この信号を左折して川沿いの道を選ぶのが急いでいる私の常だ。
 ここは道幅が狭いため、対向車が来ると通りずらい。先日、駐車車両があり、その後方から向かって来る車が見えたので、道を譲ろうとゆっくり走った。すると、若葉マークを付けた軽が私の車を追い越していく。
あぶない!
 何とかすれ違うことができたようだが、通りすぎていく老夫婦の引きつった顔が見えた。
 軽の運転手もさぞかし驚いているだろうと後ろにつくと、何と、助手席の彼氏とチュー。
「何考えてんだ」
 怒鳴りたくなる気持ちはあきれに変わり、頭を抱えた。
 稀に見るバカップル。
 プップー、
 信号、青だよ!

2006年2月7日
 

声掛け

 川面を眺めていると、隣のおっちゃんから「やってみるか?」と声が掛かった。実はその声を待っていた。その日の格好はジーンズにスニーカー。来る前から十分にその気だ。
 寒バエは魚信の感触が難しい。ピクピクッとした微妙な手応えしかない。冷たく澄んだ空気の中、腕ではなく、指で感じる釣りも面白い。仕事を忘れ、ニヤけながら糸を垂らした。
 竿を貸してくれたおっちゃんが「はらわたを取って、焼いて、しょうがだまりとみりんで4時間ぐらい煮込んで甘露煮にすると旨いぞ」と嬉しそうに言う。
 そんな笑顔を見せられたら、釣るのは好きだが食べるのは苦手とはとても言えない。
 今週は、弓矢を射って一年の吉凶を占う伊賀八幡宮の武者的神事に行ってきた。草履を履いて矢を放つ人の近くにたたずんでみたが、さすがに「やってみるか?」の声はかからなかった。

2006年2月7日
 

羊(服地)はミユキ

新年用の原稿がまだ書けていない。
どうも、来年の干支は未らしいが、羊で連想するレパートリーが私には乏しい。
そういえば唯一、小学校の社会見学で羊と格闘したことがあった。目と目が合ったと思ったら後ろ足で砂を蹴り、いきなり突進してきた。「羊の皮をかぶった狼」という言葉があるが、私の持つ羊のイメージは狼よりも凶暴だ。「…をかぶったヤギ」のようにか弱い私に対して、角がないくせに頭を突き上げてくる。食われると思ったのか、こいつになら勝てると踏んだのか、今でも聞いてみたい。
正月も間近、早く原稿をまとめたい。しっくりくる言い回しは都合よくは浮かばないもので、横になっていざ眠る体勢になった時に沸いてくることが多い。だが、その度に起きていたのではいつまでたっても眠れない。
今日は何も考えずに眠れますように…羊が一匹、羊が二匹…

2006年2月7日
 

こも巻き

 今年も公園や川の松にこもが巻かれた。この時期の風物詩として季節を感じる人は多いだろう。
 去年、こも巻きの近くで、犬のフンを踏むアクシデントに見舞われた私にも「またこの時期が来た」という思いは強い。
 わらが巻かれた松の風景は昔の記憶にもある。当時は寒さで枯れてしまうのを防ぐために、人間が「腹巻き」をしてやるのだと勝手な解釈をしていた気がする。
 知り合いに、なぜこも巻きというのかを聞かれ「わらの中に虫がこもるからじゃないの。流行りの引きこもりだよ」と適当に答えたら納得していた(…ウソです)。
 急に冷え込んできたこのごろ、そろそろ年末の宴会芸を考え始める人もいるだろう。ネクタイを頭に巻き、ももひきとYシャツ姿で踊る「パッチダンサー」は今では貴重な存在だ。
 そんなことを考えながら私の懐具合もそろそろ冬を迎える。

2006年2月7日
 

二次会

 披露宴の余興で全身タイツのエレクトリカルパレードを華やか?に披露した。
 新郎は、よく行った店のバーテンダーで2年半ほど前からの付き合い。新婦は中学時代の同級生で、この二人が結婚すると聞いたときは正直、驚いた。
 高校卒業後、地元を離れていた私はまるで浦島太郎。知らないところで昔の友人同士がつながっていたりする。このバーテンダーの店にも友人の誘いで通うようになった。
 二次会で集まったメンバーにも目を疑った。この会のために、遠方からも友人が駆けつけ、気心の知れた面子が集まった会場には一体感があった。内容はとても書けないが(フル●も登場)、笑い過ぎて涙が出たのは久しぶりだ。
最後は、10年以上会ってなかった友人たちと握手を交わし、しっかりと抱き合って別れた。
 そのままの勢いで、同級生だった女性にも抱きつこうとしたが…

2006年2月7日
 

得意料理

 切り詰めた生活を続けていた時は、お腹がすくのを防ぐため、できるだけ体を動かさないようにしたこともあった。
 でも、たまには居酒屋気分で一杯いきたい。やっと飲み屋に行けるようになった今日このごろは、家でも飲めるように「うまい」と思った料理は行く先々で大将に作り方を尋ねるようにしている。
 その中で、安くて簡単なものを二つ紹介しよう。まず、付き出し。鳥皮を買ってくる(これが安い)。湯通しした皮の上に刻んだネギをまぶし、中華ドレッシングをかけて完成。さっぱりしていて、うまい。
 もう一つは砂肝、まず鳥肝を買ってくる(これがまた安い)。串物で見るサイズに包丁を入れて、それに塩とコショウを振る。家庭用では火力が弱く中まで火が通らないので、電子レンジでチンする。これで完成。
 私の得意料理!どうですか、お味は?

2006年2月7日
 

ライトは早めに

 タクシーが昼間でもライトをつけて走るようになり、飲酒も含め、世の中が事故防止に努める傾向にあることはいい。
しかし、このヘッドライト、ここ数年、まぶし過ぎる車があるのが気になって仕方がない。真っ白というか、半透明に光るその明かりは、街中ならまだいいが、暗い農道などで対向されると、前の道がまったく見えなくなることがある。
 知り合いの一人は、パッシングしても相手が角度を変えないことに腹を立て、次の日に自分の車にも、このまぶしいライトを付けたという。「目には目を」と話す気持ちはよく分かるが、嫌悪の連鎖にならないことを願う。
 最近の車は、購入時からこのライトが付いているらしい。最初から付いているということは合法に違いないが、本当に危険を感じたことが何度かあった。
 それでも、「ライトは早めに」なのだろうか?

2006年2月7日

ムーンライトセレナーデ

 いろいろなつながりで、世界的なトランペッター日野皓正さんと接する機会が持てた。
 20人くらいで飲みに行ったので直接話すことはできないかと思っていたら、運良く日野さんをホテルまで送っていく役がまわってきた。店から出ですぐの広場を歩いていると、私の肩をたたき「ここはいいよ、ここでコンサートがやりたい」と日野さんの方から話し掛けてくれた。
 そして、きれいに光る月を見ながら「ターン、タララーン」とグレンミラーのムーンライトセレナーデを歌い出した(歌詞入りは何度も聴いたことがあるのですが、誰が歌っているのでしょうか?ご存知の方、教えてください)。
 よほど気分が良かったのだろう、ホテルに向かう車の中ではミーシャの「エブリシング」など最近のヒット曲まで口ずさんでいた。
 「世界の日野」、遠い存在だが、物理的には近い存在だった。

2006年2月7日
 

ホットココア

 先月末になるが、国道1号沿いに移転した小規模保護作業所を訪ねた。
「こんにちは」と軒先で何度か呼ぶと、ジーンズにTシャツを着たきゃしゃな感じの男の子が出てきた。
 作業場に腰掛けて彼はコーヒーを勧めてくれたが「すいません、切らしてました」と代わりにココアを入れてくれた。それをすすりながら話を聞くと、彼をボランティアの一人だと思っていた私は正直おどろいた。26歳の彼⚫️⚫️さんがこの作業所の施設長だった。長野県出身で大学を卒業後、福祉の仕事を探してこの地にたどり着いたらしい。
 親や親戚が近くにいるわけでもなく、彼の選んだ仕事では生活が厳しいはずだが、作業所の今後を語る彼からは、外見では想像し得なかった強い信念を感じた。同所への通所者は現在20人。それを23歳の女性と2人で支えている。
彼の話を聞きながら十数年ぶりに飲んだココアはとてもうまかった。

2006年2月7日
 

至極の時

 平日の仕事帰りにどこかに立ち寄る時ほど‘贅沢な時間”と感じることはない。その一つに映画観賞がある。
 この日は新作の「スパイダーマン」。館内には、恐らく高校生だろう若いグループ、中年のカップル、2、3人連れの女性が4、5組。それに映画の好きそうな兄ちゃんとスーツを着たサラリーマン風の人が一人いた。
私の列には誰も座っていない。イスのひじかけについたホルダーを左右両方とも使って、入り口で買ったスナック菓子とジュースを置く。あまりに静かなので音がしないようゆっくりとほおばった(中年カップルのように、さきいかにしておけばよかった)。映画のほうは、ビルからビルへと飛び移るシーンが遊園地のジェットコースターみたいで股間がスースーする感覚があったが、詳しい内容は見てのお楽しみだ。
 仕事帰りの街は発見が多い。料理、服、音楽など「ここでこんなものが」と‘贅沢な時間”を演出してくれそうな店がたくさんあるのに気付く。これを活用しないのはもったいないと思う。もう一度書こう。もったいないと思う。

2006年2月7日
 

呪縛三昧

 春の編成時期のためか、最近は除霊などの霊に関するテレビ番組をよく目にする。
 霊感が強く、この霊というものを何度も見たと言う友人は「ゴキブリの方が怖い」と真顔で話すが本当だろうか。
 私はいい歳になった今でも夜中のトイレは苦手だ。階下で用を済ませ、2階への階段を上がる時に何か嫌な予感がして走ってしまう。そんな時は決まって心の中でカウントダウンが始まる。10秒以内に自分の部屋のドアを閉めることができれば、霊は速さに追いついて来れないのでセーフだ。絶対に後ろを見ないようにと思うのに、怖いもの見たさで、つい振り返ってしまう。不摂生で夜中に帰ることも多いが、2時や4時の入浴は慌しい。特にシャンプーは目を閉じないといけないので数十秒で終わる。
 ちなみに宇宙人も信じているので何かと生活に制約が多い。

2006年2月7日
 

子供に感謝

 友人の結婚式が終わりホテルの廊下を歩いていると誰かに名前を呼ばれた。振り向くと高校時代の同級生夫婦だ。偶然、同じホテルの別の式に出席していたらしい。しかし、困った。同級生なのは分かるのだが、二人の名前が思い出せない。どこかのテレビCMと同じ状況になった。何を話せばいいのか…。
 「子供はいくつ?」子供を抱いていたので最初の言葉はうまく出た(子供に感謝)。もちろん相手の返事は全然耳に入っていない。名前を思い出すのに必死だった。「どういう関係の人の式に出たの?」当たり障りのない自然な会話ができた(われながら冴えてると思った)。せっかく名前を覚えてくれていた人の気分を害さないように明るく「またクラス会でもやろうねっ」と声をかけて別れた(完璧だった)。
 家に帰って卒業アルバムを見た…二人ともクラスが違った。

2006年2月7日

必殺仕事人

 有り金をはたいて、清水の舞台から飛び降りた。
 このノートパソコンは仕事のために買った。
 今月のスケジュール、今までにもらった名刺、主な出先の住所や電話番号を打ち込む。重たい辞書など持ち歩かなくても、辞書のソフトを入れておけば専門用語や漢字もすぐに分かる。他にも分からないことがあればインターネットで調べればいい…いろんな活用法が頭に浮かんだ。
 何年か後には、インターネットで資料や写真が送られてくるようになるかも知れないと思い、画像の処理能力が高く、ハードディスクの容量が一番大きい高価な物を選んだ。傷を付けないよう大切に家に持ち帰り、部屋の入り口に置いて正月の休み明けを待った。
 家に帰ってまでパソコンとにらめっこする気はない。仕事のために、仕事だけのために無い自腹を切った自分を、まさに必殺仕事人だと思った。…仕事も始まり2週間以上たつが、実は未だに箱を開けていない。

2006年2月7日
笑い話のような毎日